現代科學與法相唯識之因明論理 王穆提 - 現代科学と法相唯識の因明論理

現代科学と法相唯識の因明論理

 
【論に曰く】:今、客難(かくなん:客人の反論)あり。現代の格致(かがく)の学を挟み、宇宙の浩瀚(こうかん)、脳髄神経、量子の重ね合わせの説をもって、「万法唯識」の至理を破らんと欲す。その説、一見堅鋭なるも、実は心識の源に達しておらず。今まさに大唐慈恩宗の法式に依り、無遮大会(むしゃだいえ)を開き、因明学「三支比量」の慧剣をもって、その執着を一一摧破(さいは)し、もって唯識の真玄を顕すべし。
 

第一門:宇宙化石の難を破す(無始の共業を明かし、予め未来の果に酬いること)

【客難に曰く】:現代宇宙学の実証によれば、宇宙の歴史は百三十八億年であり、恐竜の化石は人類の足跡より遥か以前に存す。その時代、既に人類の心識なきに、これら太古の星辰や地層の化石は、何に憑(よ)りて変現せしや。もし唯識と謂わば、科学の定論に背くにあらずや。
 
【唯識の判過(過ちを判ず)】:この難は「有情を狭隘にとらえる過ち」ならびに「果を倒(さかしま)にして因となす過ち」を犯せり。客難は「有情の衆生」を今日の地球人類のみに局限して誤認し、さらに阿頼耶識(あらやしき)の共業(ぐうごう)が、未来の受生の報いに酬いるために予め変現し得ることを知らざるなり。
 
【立量摧破(三支比量)】
 
  • 【宗(主張)】:太古の星系と太古の化石もまた、無量の有情の阿頼耶識における「共相種子」の変現によるものなり。
  • 【因(理由)】:器世間(客観的物理宇宙)の成立は、将来受生する衆生の共業に酬答せんがためであり、かつ十方宇宙の有情の種類は無尽にして、初めから今日の地球人類に限らざるがゆえなり。
  • 【喩(例証)】
    • 同喩:摩天の巨厦(共業の変現)を営造するに、必ず先ず青写真と基柱(器世間)を備え、その後に住客(有情)が遷入し得るがごとし。大厦の落成は、必ず住客の安居より早きものなり。
    • 異喩:もし青写真と衆匠の共造なきに、客観の実屋の存することは必ず無し。亀の毛、兎の角(亀毛兎角)のごとし。
 
【義理解析】
法相宗の観点よりすれば、宇宙の始まりは無始であり、虚空の大なること無辺なり。太古の昔、地球に人類なきといえども、当時の有情(古代生物など)がおり、その本識の共業に依りて当時の器界を変現せしなり。
 
さらに一歩を進めて言わば、我らが今日この界に投生し得るため、我々の無始劫来の「共業の種子」が、阿頼耶識の枢紐において、因果の法則に従い、地質年代と星光伝達の物理的軌跡を予め構築せざるべからず。化石と古き星の光は、実に本識がこの共業の業網を円満無漏ならしめんがために予め作られし「歴史的媒介(パラメーター)」に他ならず。心識なきにあらず、実に業力が先期に運作せし明証でございます。
 

第二門:神経大脳の難を破す(色根は識にあらず、本識が恒に種子を保つことを明かす)

【客難に曰く】:現代医学の実証によれば、意識は大脳神経の放電の産物なり。もし麻酔を施すか、大脳前頭葉を損傷せば、意識はすなわち断絶し、性情もこれに随い変異す。これは「物質(色法)が心識を決定す」ことの証であり、阿頼耶識は実に古人の虚妄の構想に過ぎず。
 
【唯識の判過】:この難は「根を認めて識と作(な)す」という極大の過ちを犯せり。前六識が依附する物理的媒体(勝義の色根)をば、誤って心識生起の基底本源であると認むるは、実に現代唯物論の勝義における破綻なり。
 
【立量摧破(三支比量)】
  • 【宗(主張)】:医学の測るところの大脳神経と麻酔の薬効は、ただ前六識の「勝義の色根(実体の媒介)」を損益し得るのみにして、物質が阿頼耶の本識を生むことを証成することは断じてあたわず。
  • 【因(理由)】:大脳神経(色法)は前六識が生起する増上縁(補助条件)たるに過ぎず、心識流転の根本にはあらざるがゆえなり。第八阿頼耶識は全身麻酔等の「無心位」においても、依然として幽微なる処において有根身(うこんじん)を執受し、種子を保ちて散ぜざるがゆえなり。
  • 【喩(例証)】
    • 同喩:明鏡(大脳の色根)がもし蒙蔽されるか撃砕されれば(麻酔や損傷)、鏡中の影像(前六識の認知)は必ず歪みや滅匿を現すも、それは鏡を照らす人(本識)がこれに従って消亡したことを意味するにあらざるがごとし。
    • 異喩:もし物質の肉身がすなわち心識の根源であるならば、脳死や重度麻酔の際、一切の業力種子と記憶は悉く烏有(うゆう)に帰するはずなり。いかんぞ蘇生の後に、往事が歴々として俱に在り、性情の因果が依然として相続くや。
 
【義理解析】
医学の鑽研する大脳神経は、唯識学において「勝義根」と称し、第六意識が運作するに際して必ず依附すべきハードウェアの如きものなり。麻酔薬が色根の伝導を切断せば、前六識はすなわち暫時休歇(きゅうけつ)す(兜の電源を断つがごとく)。しかし枢紐たる第八識は、なお黙々と肉身を「執受」し、心拍を息(や)ませず、体温を散ぜしめず。薬効退き、色根が復原するを待ちて、本識中の種子は再び現行を起こすなり。科学者はただ表層の物理の生滅を見るのみにて、深層の本識の恒転を契(さと)らず、ゆえにこの誤りあるのでございます。
 

第三門:量子重ね合わせの難を破す(相は見によりて生じ、確率すなわち種子なることを明かす)

【客難に曰く】:量子力学の言うところによれば、微観粒子は観察を経る以前には、皆「重ね合わせ状態」の確率波に処す。これは宇宙の基底が客観的に存在する物理数学関数であり、人類の業力に関わらざることを証す。観察者効果を、いかんぞ共業をもって釈すべけんや。
 
【唯識の判過】:この難は単に唯識を破斥し得ざるのみならず、反って「万法唯識、相由見生(相は見によりて生ず)」の至理を証成するに足るものなり。客難の失は、「確率波」を心から離れて独立する実有の物質と執着する点にあり。数学関数と確率は、唯識の理においては正に「心不相応行法」(色心の分斉に依りて仮立せる媒介)に属し、本来実体のなきものなることを知らざるなり。
 
【立量摧破(三支比量)】
  • 【宗(主張)】:量子力学の称する「重ね合わせ状態の確率波」とは、すなわち阿頼耶識において未だ現行を起こさざる「共業の種子」であり、その「波束の収縮」とは、すなわち「見分(けんぶん)」が縁取ることにより致すところの「種子が相分(そうぶん)を生ずる」刹那に他ならず。
  • 【因(理由)】:微観粒子が観察者(見分)の測量を経る以前においては、純粋に潜在的なるエネルギー機能(種子)に属し、確定した実体と空間座標をもたず。必ず観測の意識の介入(衆縁和合)を待って、初めて瞬時に確定した物理状態(相分)へと転変し得るがゆえなり。
  • 【喩(例証)】
    • 同喩:夢中の未だ至らざる境が、皆潜在的な業力として本識に存し、全く実の形なきも、夢見る者の心念が一度動く(見分が用を起こす)を待ちて、場面が瞬時に現前する(相分へと収縮する)がごとし。
    • 異喩:もし観察する心識を離れて絶対客観・定型の実体粒子が有りとせば、量子力学の「不確定性原理」に違背すべし。
 
【義理解析】
微観の粒子が未測の時においては、あたかも阿頼耶識中の「種子」のごとく、無形無相にして、ただ潜在的な変現の機能(確率)を具えるのみなり。測量機器と観察者の「見分」が一度介入し、衆縁具足するを待ちて、潜在の確率が瞬時に確定の「相分(実体粒子)」へと「変現」す。科学が物理の極微を窮め、忽然として首(こうべ)を回(めぐ)らせば、なんと万法に定実(一定の実体)なく、ただ観察に依りて確立されるを見るなり。これ不啻(ただに〜のみならず)、千三百年前、大唐の玄奘三蔵が伝えし「四分(相分、見分、自証分、証自証分)」の奥義に対する、最良の科学的註釈でございます。
 

総判の結語

【論に曰く】:上の三支比量の交鋒により、客難たる現代格致科学は、唯識の大宗を破り得るや。
 
【述して曰く】:単に破ること能わざるのみならず、反って唯識の理致の精密にして類なきをますます彰(あらわ)すものなり。
 
宇宙学は我々の「共相種子」が時空を変現することに対する認知を広く拓き、脳神経科学は「勝義根」と「心識」の従属関係を清澄にし、そして量子力学に至っては、直接的に物理宇宙の虚幻なる面紗(ベール)を剥がし、万法が依他起であり、本より自性なきという枢紐の真理を証実せり。
 
大唐の法相唯識宗は、千年の時を経るといえども、現代科学に淘汰されざるばかりか、反って物理と心智を統摂する至高の哲学と成る。仁者(じんじゃ:あなた様)よ、この唯識をもって心を観ずれば、世間の一切の逆境、順境、ひいては生死流転すらも、皆これ自心の種子の起滅に過ぎざることを知るべし。もしこれに深く達して惑わず、外境に随いて舞い踊ることなからば、すなわち転識得智(識を転じて智と成す)の金鑰(金の鍵)を掌握せしものなり。
 
(図版:親教師 王穆提 日本国立新美術館 個展出品作品)